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マタイの福音書 1:1-17

マタイの福音書は名前の一覧からはじまりますが、これらの名前は、人間の歴史を通して神の御子である私たちの救い主をこの世界に送り、神の御国をすべての人類のためにもたらす神の至上の働きを私たちに示しています。神は御国を確立するために過去に働かれたので、神の御国の民としての私たちは神が御国のために現在と未来に働かれることを信頼できます。

マタイの福音書1章に列記されたそれぞれの名前には物語があります。過去のこれらの物語は神の忠実さの証言であり、また悩みに直面する今日の私たちに励ましを与えてくれるものです。私たちがだれであれ、私たちになにが起こったとしても、神は私たちが御国の一部になるように招かれており、御国を進めるために私たちを用いられてもいます。私たちが抱きがちな悩みについて考えてみましょう。


1. どのようにして神の御国の御計画に叶ったことができますか?

あなたは「自分はだれだろう?神さまに選ばれたり、用いられたりするには私は弱すぎる。知識があるわけじゃないし、特別な能力があるわけでもない」と思うかもしれません。

Q. 以下の文章をどのように完成させますか?私は神さまに選ばれたり、用いられたりするには______すぎる。

では、ここでマタイの福音書1:6にあるイエスの家系からもっとも有名な名前のひとつである「ダビデ」を見てみましょう。

サムエル記第一16:1と16:6−7を読みましょう。

16:6 彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、「確かに、主の前で油をそそがれる者だ。」と思った。16:7 しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。

神は強く、賢く、その資格があるからという理由でダビデを選んだのではありませんでした。。なぜなら彼にはそういった資格はひとつも持ち合わせていなかったからです。神はダビデの心が、神の御心のようなものであると知っていたのです(使徒の働き13:22)

コリント人への手紙第一1:26−29を読みましょう。

1:26 兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。1:27 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。1:28 また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。1:29 これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。

自分の能力、知性、力にではなく、イエス・キリストに自分のすべての信頼を起きましょう。キリストが、私たちの強さであり、英知であり、義なのです。


2. 自分の過去のせいで、私は神の御国に入れなくなりますか?

私たちはだれもが、過去に自分たちで恥ずべき罪を犯しています。ある人たちは恥をもたらされたり、自分が「欠陥商品」に感じてしまうような罪を受けたことがあります。しかし、マタイの福音書1:5にあるイエスの家系に載っている女、「ラハブ」の物語について考えてみましょう。

ラハブの全物語はヨシュア記2章から6章で読むことができます。ラハブはイスラエルの敵に身を売る売春婦でしたが、イスラエルのスパイを助けました。

ヘブル人への手紙11:31を読みましょう。

信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た人たちを穏やかに受け入れたので、不従順な人たちといっしょに滅びることを免れました。

神の御力と恵みへの信仰のために、ラハブは過去について赦され、マタイの福音書1章にあるようにイエスの家系に加えられ、ヘブル人への手紙11章にあるように信仰の英雄として描かれたのです。


3. 悲劇や病いは私の人生に対する神さまの御計画を台なしにしますか?

人生のすべてがまったくうまく行っていて、突然つらい出来事が起こり、神さまはもはやコントロールされていない、私を忘れてしまったのだ、神さまはもはや良い御方ではなくなったのだと思えることがあるかもしれません。しかし、マタイの福音書1:10にあるイエスの家系に載っている名前「ヒゼキヤ」の物語について考えてみましょう。

ヒゼキヤの驚くべき物語はイザヤ書36章から39章に記されています。ヒゼキヤは、アッシリヤの軍隊が巨大な軍事力をもって町を侵略し、取り囲んだときの王でした。ヒゼキヤは神に祈りました。

イザヤ書37:16−20を読みましょう。

37:16 「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、万軍の主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。37:17 主よ。御耳を傾けて聞いてください。主よ。御目を開いてご覧ください。生ける神をそしるために言ってよこしたセナケリブのことばをみな聞いてください。37:18 主よ。アッシリヤの王たちが、すべての国々と、その国土とを廃墟としたのは事実です。37:19 彼らはその神々を火に投げ込みました。それらは神ではなく、人の手の細工、木や石にすぎなかったので、滅ぼすことができたのです。37:20 私たちの神、主よ。今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、あなただけが主であることを知りましょう。」

神はヒゼキヤの祈りに聞かれ、エルサレムを救われました。のちにヒゼキヤは致死的な病気にかかります。彼はまた神に祈ります。

イザヤ書38:2−6を読みましょう。

38:2 そこでヒゼキヤは顔を壁に向けて、主に祈って、38:3 言った。「ああ、主よ。どうか思い出してください。私が、まことを尽くし、全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたがよいと見られることを行なってきたことを。」こうして、ヒゼキヤは大声で泣いた。38:4 そのとき、イザヤに次のような主のことばがあった。38:5 「行って、ヒゼキヤに告げよ。あなたの父ダビデの神、主は、こう仰せられます。『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたの寿命にもう十五年を加えよう。38:6 わたしはアッシリヤの王の手から、あなたとこの町を救い出し、この町を守る。』

どんな悲劇が人生に起ころうとも、私たちは神さまが私たちの人生における目的を達成してくださると信頼することができます。それは命があるときも、ときには私たちの死を通してでさえもです。イエス・キリストを通して私たちは神の民となっているので、ローマ人への手紙8:28−29に書かれた約束は私たち一人ひとりにとって真実であることがわかります。

Q. いま人生で直面している悲劇や悩みがありますか?

いま、もしくはスモール・グループの最後に、悲劇や悩みについてお互いに祈るようにしてください。


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