Comment

福音中心

祈りをもって始める:祈りをもって始める:互いに心を開くことができるよう、神様がみことばを通して力強く働いてくださるよ う、神様に祈り求めてください。

導入:教会の仕事は、「あらゆる国々に弟子を作る」こと(マタイ28:19)です。しかし、私たちは、福音のメッセージの力なしにこれをすることはできません!福音が罪人たちを救う力であることにはほとんどの方が同意されるでしょう。しかし、多くの人が見逃しているのは、クリスチャンの継続的な成長と変革のための力でもあるということです。マスタードシード・ネットワークに属する教会は、それゆえ、すべての教会生活の中心に福音を保ち続けることを重視しています。これこそが、私たちの教会を、新しい人たち、古くからの人たちにかかわらず、強く健全な礼拝者で満たす唯一の方法です。

 

福音だけが罪人を救う力を持つ

ローマ1:16-17をお読みください。この箇所には、救いのための神の力は福音の内にあることがはっきりと述べられています。この質問に答えるためには、多くの良いアプローチがあります。 私たちが「福音中心」に力点を置く時、多くの角度から福音を見ることが重要になります。2つほど見てみましょう。

私たちの世界に関する物語を告げる聖書の大きな絵。4つの部分に分けることは助けとなります。

創造

堕落

贖い

完成

神は無から天地を造られた

最初の人アダムとエバが、エデンの園で禁じられていた実を食べることによって神に反抗した。これにより罪と死が世に入った。

神は、特にご自分のお選びになった民イスラエルを通して、ご自分の贖いのご計画を始められた。この計画は、罪のない生涯と十字架上での身代わりの死を通して贖いを成し遂げられた救い主イエス・キリストをもって頂点に達した。

ある日、神は歴史を閉じることによって、被造物を回復される。すべての人間は裁かれ、イエスを信じている者は新しい天と新しい地において、神と永遠に共に住むことになる。



福音を定義するもう一つの方法は、一人ひとりを救うイエスの救いの力に焦点を当てることです。

福音は、罪のない一生を送り、罪人のために死なれ、よみがえられた

イエス・キリストへ信仰を通して、私たちは救われるというメッセージです。

使徒4:10-12をお読みください。この箇所には、なぜ救いのための力が福音の内にしかないのかという理由が満ちています:「ナザレ人イエス」という称号は、福音が現実的な時間と空間の中で起こった出来事であることを思い起こさせてくれます:すなわち、福音は歴史的な事実に基づいているわけです。「十字架につけ」という言葉は、罪人の身代わりとして死なれたのはイエスさまだけであることを思い起こさせてくれます。 次に、イエスさまは「死者の中からよみがえ」られたことは、その真実さ、権威、死に打ち勝つ力などを証しています。聖書の著者が、イエスさまの生涯と死の上に神様の証印があったことを示すために、旧約聖書を引用していることにも注目してください。イエスさまは、ご自分がお生まれになる何世紀も前に記された事柄を成就されたのです。最後に、「この御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていない」ということがはっきりと告げられています。

 

ディスカッション用質問

時として、教会やクリスチャンは福音以外の事柄を強調します。これは、福音中心でない教えを通して、また私たちのお互いとの関わり方を通して起こり得ます。すると、外部の人たちは、救いのためには福音以外の何かも必要なのだと捉えてしまうのです。福音以外のことで教会が強調してしまいがちな事柄には、どのようなものがあるでしょうか?

救いは福音の内にしかありません。それゆえ、もし私たちが人々のことを本当に気にかけているなら、私たちはその人が福音を聞くための手助けをするために全力を尽くすべきです。自分の人生に関わっている、福音を聞く必要のある人の名前を1-2名、挙げてください。彼らが福音を聞くことを、どのように助けることができるでしょうか? 神様が皆さんを用いてくださるよう、短く祈ってください。

 

福音だけが信じる者を変革する力を持つ

第一コリント15:1-4をお読みください。明らかに、パウロはここで「キリストは私たちの罪のために死なれた」とか、「3日目によみがえられた」というような、シンプルな福音のメッセージを繰り返しています。多くの人にとって驚きなのは、パウロは未信者に対して福音を紹介しているのではなく、クリスチャンたちに「思い起こさせている」ことです!

クリスチャンがなぜ常に福音を思い出させてもらい続ける必要があるか、その理由を示している動詞にはどんなものがありますか?(1-2節)

深刻な罪に陥ったり、十分祈らなかったり、聖書の理解において成長しなかったりと、クリスチャンとしての私たちの信仰を脅かす事柄はたくさんあります。しかし、2節において、パウロは、私たちの信仰を完全に「むなしいもの」にしてしまう、より危険な事柄を示しています。それは、何でしょうか?

 マタイ24:27ヨハネ5:39をお読みください。これらの箇所の文脈から、イエスさまはとりわけ旧約聖書について語っておられることが分かります。イエスさまは、旧約聖書が誰に関して言及していると言っておられるでしょうか? 答えはイエスさまです! そして、新約聖書がイエスさまに焦点を当てているということに反論する方はほとんど居られないでしょう。それゆえ、聖書は「イエスさまを期待し、イエスさまを振り返り、再びイエスさまを期待している」と言われているのです。これは、旧約聖書がイエスさまのことを期待し、新約聖書がイエスさまのことを振り返り、聖書全体がイエスさまの再臨を期待しているということです。一言で言えば、これこそが聖書の福音中心的見方です。

 

ディスカッション用質問

福音が指し示している一つのことは、私たちは、自分の罪との葛藤を謙虚に認めることができ、また告白すべきであるということです。もし私たちにそれができないのであれば、私たちは福音をもっと信頼する必要があります! 自分が葛藤し続けている罪には、どんなものがありますか?

ヤコブ5:16:「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」 明らかに、弱さを認めることと罪の告白は、福音の光が私たちの心の内の暗闇を照らすことを可能にする素晴らしい方法です。自分の罪を告白し、必要とする時にはいつでも祈ってもらえる同性の成熟したクリスチャンはいますか? もしいなければ、あなたにとって、誰がその人になり得ますか?

チャレンジ:日々、新約でも旧約でも聖書をお読みになる時、福音中心のレンズを通して読むようにしてください。これは、ご自分の読まれるすべての箇所において、「ここはイエスさまや福音とどのように関わっているのだろう?」と質問して、それに答えながら読むということを意味します。

祈りをもって閉じる


Add a comment

Email again: